平成の思い出・令和はさらに大きな幸福へと向かう時代へ
今日は2019年4月30日(火・祝日)平成最後の日。
こんな日にラジオ出演をさせていただき、なんともありがたい日になりました。
と同時に、「私の平成時代」を振り返ってみることにしました。
はた ひろ美の平成時代
はた ひろ美の平成時代…
誰が興味あるねん!!!
というツッコミは置いておいて。。。(笑)
ふだん、そんな機会はなかなかないので、自分史を振り返っていきたいと思います。
平成元年1989年は12歳だった
私は福岡で生まれました。
12歳の小学校6年のときは柳川市の小学校へ通っていました。
どんな子どもだったかというと、、、
体育が苦手で
登校拒否をしている問題児でした。
校長先生も家に迎えに来るほどの問題児。
そんなころ、家の都合で
大阪府岸和田市に引っ越しすることになりました。
平成元年11月2日から大阪府岸和田市で暮らし始める
忘れもしない11月2日。
大好きだった光GENJIの佐藤寛之君の誕生日に福岡からフェリーで大阪に来ました。(知らんがなっ!(笑))
中途半端な時期の転校生。
しかし、大阪は人見知りの私をやさしく受け入れてくれました!
じつは私、柳川市のとき小学校時代に3回も転校を経験していました。大阪も合わせると4回ですね。
柳川市のときは、転校するごとに慣れるまでに時間がかかって「友達ができない・・・」とよく泣いていました。
が、大阪に来て転校初日、
私の机の周りにクラスのみんなが集まって来てくれました!!!
- 大阪の人は人懐っこい
- おもしろい
- 楽しい
そのことに助けられて登校拒否もせずに中学・高校と通えました!!!
おもにマンガを描く学生時代
どんな学生だったかというと、
ホラー漫画を描く学生でした(笑)
かわいい系のイラストではなく、実写っぽいリアリティーな画風が好きでした。
そして、人気のモノは避けて、
マニアっぽいものを好む。
そんな子でした。
いわいる。
変わってます!!!(笑)
米米CLUB・お笑いにハマる!
大阪に来てから「水を得た魚」のように楽しんでいたのを覚えています。
けっこう家庭環境が複雑だったので、暗くなりがちでしたが、
その頃ハマった、
- 米米CLUB
- お笑い(2丁目劇場)
のおかげで「笑い」のパワーで元気になれたんだと思います。
米米CLUBはファンクラブに入りコンサートも行って、休みの日は友達とビデオテープを観て踊る。
メッセンジャー・2丁拳銃・中川家にはまって2丁目劇場へ行きまくる。
心霊体験にもハマって、冝保愛子さんの本を穴が開くほど読んでいたなあ^^(笑)
そんな中学高校時代でした。
高校卒業後に再び福岡へ引っ越し
親の都合で、高校卒業と同時に再び福岡へ引っ越しすることに。
嫌で嫌で仕方がなく反発してたのを覚えています。
そりゃそうですよね。
友だちもみんな大阪ですもん。
だけど、結局親と一緒に福岡へ行くことに。
謎の体調不良が続いた福岡での暮らし
高校卒業後、福岡に住むと
よく高熱を出して病院で点滴をするようになりました。
原因不明の発熱が続きました。
「水が合わない・・・」
そう感じていました。
ひとりで大阪に引っ越し→結婚→長女・長男出産→離婚→再婚
体調不良が続き、
大阪に未練がたくさんあって、
「ちょっと大阪に遊びに行ってくる~」
と親に告げ、
そのまま大阪に住む。
という強行突破を実行。
(詳しいことやいろんなご意見は個別メッセージで(笑))
その後、
はじめの結婚・長女、長男出産・離婚・再婚
と過ごしました。
最高の再婚を果たした私!!!
両親を亡くし、その後シングルマザーで二人の子供を育てていました。
そのときに今の主人と出会いました。
運命の出会い!!
可愛い次男にも恵まれて、
起業し、仲間にも出会えました!!!
育った環境を浄化する
ここでは描ききれない(今は書きたくない)ほどの幼少期の過去があります。
しかし、ここ最近になって
やっと
全て受け入れることができています。
それは、
主人はじめ、主人の家族のおかげ。
愛情をたくさん注いでくれているのが実感できます。
だからこそ、
私の今までの経験を生かしてなにか役に立てないか?
と思えるようになりました。
仲間・出会う人たちのおかげ
その大切な家族が住む松原市。
たまたま松原市だったのですが、そこで深い仲間との出会いがありました。
coicoi実行委員会メンバー
それも松原市のチカラが大きくあります。
明日から令和の時代へ。
ますます希望が叶う時代になると確信できます!